紅雲厳島神社 群馬県前橋市紅雲町2-16-12

神社前の広場-厳島神社 (群馬県前橋市紅雲町) posted by (C)Rubber Soul
市杵嶋姫(いちきしまひめ)を祀る神社。
抜弁天厳島神社を1日に参拝したのだけど、市杵嶋姫(いちきしまひめ)という神様の名前が出てきたので、他にどこかあったような?という記憶を辿っていったら、前橋市の紅雲町にあった。
前橋市街に入る手前、県道11号が渋滞すると抜け道で通リ抜けてくると、 紅雲厳島神社の前に出てきた。
紅雲とは面白い地名だな、と思っていたが厳島神社を参拝したことはなかったが、境内の奥に御神木があったような覚えがある。とても社殿がコンパクトな神社だった。
境内は公園になっていて、夕方ぐらいに子供が遊んでいるのを見たことがあって、庶民的な神社のような感じだった。その周囲は商店街で、酒屋さんがあったりして忙しく働いているのを良く目にした。
考えてみると、前橋市街や群馬県内の都市に厳島神社があるのは珍しいのじゃないか?
その土地の鎮守様のような感じだったので、参拝するまで至らなかったが良い印象が残っている。
前橋女子校のそばだった。ここを通過して県庁の裏に出て、国体道路に出てから渋川方面に向かった。
宗像三女神(むなかたさんじょじん)の一神、市杵嶋姫(いちきしまひめ)とはどういう神様なのかウキペディアで調べてみました。
宗像三女神(むなかたさんじょじん)は、宗像大社(福岡県宗像市)に祀られている三柱の女神の総称である。
また、朝鮮への海上交通の平安を守護する玄界灘の神として、大和朝廷によって古くから重視された神々である。ムナカタの表記は、『記・紀』では胸形・胸肩・宗形の文字で表している。
概要
『古事記』に「この三柱の神は、胸形君等のもち拝(いつ)く三前(みまえ)の大神なり」とあり、胸形氏ら海人集団の祭る神であった。それが、朝鮮半島との緊密化により、土着神、地方神であった三神が5世紀以降国家神として祭られるようになった。
古事記においては、誓約において、天照御大神が須佐之男命(すさのを)の十拳剣を譲り受けて生んだとされており、須佐之男命の物実(ものざね)から化生したので須佐之男命の子としている。 『日本書紀』については本文と一書で天照大神と素戔嗚尊の誓約の内容が多少異なる。
降臨の地は、福岡県の宗像地方東端の鞍手郡鞍手町の六ヶ岳という山である。
また、には、天照大神が国つくりの前に、宗像三神に「宗像地方から朝鮮半島や支那大陸へつながる海の道は降って、歴代の天皇をお助けすると共に歴代の天皇から篤いお祭りを受けられよ」と示した。このことから、三女神は現在のそれぞれの地に降臨し、祀されるようになった。
『日本書紀』の一書には天照大神が「汝三神(いましみはしらのかみ)、道の中に降りて居(ま)して天孫(あめみま)を助け奉(まつ)りて、天孫の為に祭られよ」との神勅を授けたと記されている。
化生した順
『古事記』
『古事記』では、化生した順に以下の三神としている。
沖ノ島の沖津宮 - 多紀理毘売命(たきりびめ) 別名 奥津島比売命(おきつしまひめ)
大島の中津宮 - 市寸島比売命(いちきしまひめ) 別名 狭依毘売(さよりびめ)
田島の辺津宮(へつみや) - 多岐都比売命(たぎつひめ)
この三社を総称して宗像三社と呼んでいる。
『日本書紀』 [編集]
『日本書紀』では以下のようになっている。
本文
沖津宮 - 田心姫(たごりひめ)
中津宮 - 湍津姫(たぎつひめ)
辺津宮 - 市杵嶋姫(いちきしまひめ)
第一の一書
沖津宮 - 瀛津嶋姫(おきつしまひめ)
中津宮 - 湍津姫(たぎつひめ)
辺津宮 - 田心姫(たごりひめ)
第二の一書
沖津宮 - 市杵嶋姫(いちきしまひめ)
中津宮 - 田心姫(たごりひめ)
辺津宮 - 湍津姫(たぎつひめ)
第三の一書
沖津宮 - 瀛津嶋姫(おきつしまひめ) 別名 市杵嶋姫(いちきしまひめ)
中津宮 - 湍津姫(たぎつひめ)
辺津宮 - 田霧姫(たぎりひめ)
玄界灘に浮かぶ沖ノ島に沖津宮があり、田心姫を祭っている。この島には古代の祭祀跡があり、出土品は一括して国宝に指定されている(宗像大社所有)。
1 概要
2 化生した順
2.1 『古事記』
2.2 『日本書紀』
2.3 宗像大社の社伝
以上 ウイキぺディアから転載。

































